水上 伊都子(みずかみ いつこ) 自己紹介へ

砺波トルコ友好協会の研修旅行

公開日:2012/06/15(金) 更新日:2016/03/07(月) 水上 伊都子

砺波トルコ友好協会の研修旅行に参加させていただき6月13日.14日の2日間

和歌山県串本町に行ってきました。

朝5時に砺波市役所を出発して、

本州最南端の和歌山県東牟婁郡串本町まで約9時間かかり到着。

串本町はエルトゥールル号の遭難事件により日本とトルコの友好関係の起源とされる地です。

 

(2012年6月13日現在の紀伊大島樫野崎東海上)

 

明治23年9月16日22時ごろ、

折からの台風による強風にあおられ

紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、

座礁したエルトゥールル号は、

機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし沈没した。

これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする

587名が死亡または行方不明になる大惨事となった。

樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が

数十メートルの断崖を這い登って

灯台守に遭難を知らせ、

灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、

総出で救助と生存者の介抱に当たった。

 

 

(2012年6月13日現在の日本最初の石造り樫野崎灯台)

 

この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、

住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、

それに非常用のニワトリすら供出するなど

献身的に生存者たちの救護に努めた。

この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。
 
遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おき しゅう)に伝えられ、

沖は神戸港の外国領事館に援助を求めて

生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに、

県を通じて日本政府に通報した。

知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、

政府として可能な限りの援助を行うよう指示した。

各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられた。

 

砺波トルコ友好協会の会長柳原さん、市議会議員の大楠さん、川辺さんらともに

串本町の現地を訪れトルコ記念館の方に説明をいだきました。

 

 

その後、慰霊碑に献花させていただきました。

 

エルトゥールル号の遭難事件は多くの犠牲者を出し大変痛ましい事件でしたが、

そのことによって日本とトルコの友好関係が生まれ、

 

 イランイラク戦争当時、イラク

イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。

各国は期限までにイラン在住の国民を軍用機や旅客機で救出したものの、

日本は自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機による救援が出来なかったうえ、

日本航空はイランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さないとし

在イラン邦人は危機的状況に陥った。

野村豊イラン駐在大使がトルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えたところ、

ビルレル大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。

トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。

ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、

大使の要請を受けて派遣されたトルコ航空機によって215名の日本人全員が救出され、

トルコ経由で無事に帰国できたのである。

 

トルコでは教科書にもエルトゥールル号の事件について載せているそうです。

2年前にトルコに研修旅行に行かれた山川さんは

こどもたちが「こんにちは」「こんにちは」と日本語で声をかけてくれる。

と話しておられました。

 

 

 

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