昨日はお江戸でセミナーに参加しました。この勉強会は4ヶ月で月に1回開催されています。毎回宿題が出るのです。今回は、未完成のままの発表でした。「私がなぜこの仕事をしているのか?」という問いかけが壁となりました。ホームページを作る時も、各種イベントの原稿を書く時も同じ悩みにたどり着きました。結局は祖父与吉(創業者)の存在です。
ものごころついた時、いつも祖父「与吉爺ちゃん」と一緒だった。
我が家の庭に出て菊作りを一緒に手伝う。菊作りは非常に根気のいる仕事で、「土作り」から始まる。秋落ち葉を集め囲いを作り堆積していく。徐々に葉っぱを腐らせいい土が作られて行く。菊作りには、一年を通して積み上げて行く段取りがある。秋に大輪の立派な菊を咲かせるには並大抵のことでは成し遂げられない!それがある意味醍醐味だ。地元の菊花会の会長も引き受け、いつも自宅で表彰式をしていた。爺さんの横にいつもちょこんと座りくっついていた自分がいた。爺ちゃん子だったのだ。小学校に行くか行かないかの頃かなり渋い趣味につきあっっていたのである。
祖父が仕事中も、スクーターに乗せてもらって、当時の工事現場周り。大勢の人を動かす建設業の醍醐味に触れ子供心に家業を次ぐ気持ちが芽生えたのだと思う。祖父は多くの人に頼られていた。私の生まれる前、「村長もしていた」と聞いている人望の厚い祖父が自慢でもあり、かっこよかった。いつもベレー帽を被り、繊細でオシャレだったように記憶している。
夕方仕事を終えた祖父と一緒にお風呂に入り、幼い私にいろんなことを話してくれた。小学生の頃だったと思う。「大学に受からなかったら、無理しないですぐ働いたらいいよ!」優しかった。いつも私を認めてくれ、一種大人のようにも扱ってくれた。将棋もした。最初は負けていたが、手加減してくらたのかもしれないが、自分が殆ど勝つ様になった。爺さんは目を細めて見守ってくれた。
公共事業を事業の中心に置いていた当社は、家業を継ぎながらも、様々な疑問を感じる。平成11年5月14日(木)最初のチラシを折り込みをし、リフォーム事業を始めた。3年ほどで、公共から民間へシフトした。現在は、民間90%公共10%である。リフォームの仕事の中で土木を活かせる仕事は10%程度、石や木材、新しいコンクリート工法を使った商品による庭事業を加えた。 住宅に自然素材を取り入れ「癒しと健康空間創造クリエーター」として一つグレードアップした空間生活を提案し続けたい。そこにミズカミがあって安心と思っていただける様な存在になりたい。創業者が何を考えて生きていたかまた考え続けている自分がいます。
株式会社ミズカミ
水上幸俊